history of shoegazer

1992年以降、16年もの長きに渡って活動らしい活動のなかったmy bloody valentineが、突如活動再開を発表したのが2007年の11月。その後、世界各国での公演や北米ツアーが発表され、遂には日本への2度目の来日がフジロックフェスティバル08への出演という形で実現した。
90年代初頭、シューゲイザーというジャンルの中で神格化されていった彼らの活動は、その評価の高まりに反するようにシーンからフェードアウトしていき、同時にシューゲイザーという1つのシーンもまた消えていった。

それがここ数年、にわかにシューゲイザーというシーンが再び脚光を浴びるようになり、レコード屋の棚にはコーナーが設けられ、新譜のキャッチコピーやクラブイベントのフライヤーにも、当たり前のようにその言葉が踊る。90年代初頭に誕生し、瞬く間にシーンからドロップアウトしていったシューゲイザーというシーンが、今なぜ再び脚光を浴びるようになったのか。

以下の文章は、まだシューゲイザーというシーンが世間から完全に忘れ去られていた時代に書かれたものに、beatleg誌上に掲載された自身の記事なども加味しつつ、加筆・修正したものである。そしてまた、今後もシーンが在り続ける限り加筆・修正が繰り返されていくかもしれないことを、付け加えておく。

~1989 <胎動>

1980年代後半のイギリス音楽シーンでは、アメリカで生まれたアシッドハウスが、ヒッピーカルチャーやサイケデリックカルチャーと融合してレイヴカルチャーが生まれ(それは1967年のサマー・オブ・ラブに絡めてセカンド・サマー・オブ・ラブと呼ばれた。)、一大ムーブメントを巻き起こしていた。こうしたクラブミュージックの盛り上がりの中、new orderらを擁するfactory recordsのあったマンチェスターではロックとレイヴカルチャーの融合が起こり、the stone roseshappy mondaysといったアーティストを中心にマッドチェスター(マンチェスターという地名と狂気じみたという意味の「Mad」を掛け合わせた造語。マンチェスターといってこのことを指すことも多い。日本では語呂のよさから主に「マンチェ」と呼ばれている。)というさらなるムーブメントを生み出していた。(このあたりは2002年に公開された映画『24 hour party people』でも語られている。)

一方で、pink floydなどの60年代後半のサイケデリックサウンドの影響を強く受けたspacemen 3や、cocteau twinsthe house of loveなどニュー・ウェイヴの中からネオ・サイケデリックが生まれる。さらにはネオ・サイケデリックの中でも、過剰なまでのフィードバックノイズを全面に押しだしたギターにキャッチーでポップなメロディで、80年代のsex pistolsとまで言われたthe jesus and mary chainmy bloody valentineといったポストパンクのアーティストが台頭。

これらサイケデリックをキーワードとするムーブメントが頂点に達していたのが80年代末期のイギリスの音楽シーンであり、後にシューゲイザーと呼ばれる音楽は、こうした2つのサイケデリックリバイバルが混然一体となった流れの中より誕生してきたといえる。

1990 <覚醒>

90年代の幕開けとともに、パンク以降すっかり停滞しきっていたイギリスの音楽シーンは、マッドチェスターというムーブメントとともに勢いづき、次々と新たなアーティストが生まれてはヒットチャートを賑わしていた。中でも特に注目を集めていたのがcreation recordsである。

80年代から良質なバンドを多数世に送りだしてきたこのイギリスの小さなレーベルは、そのオーナーでもあるalan mcgeeの卓越したセンスと手腕により、前述のthe house of lovethe jesus and mary chainmy bloody valentineといった当時の主要バンドのほとんどが在籍していたと言っても過言ではない。それこそ当時はcreation recordsの新譜であれば、誰もが飛びつくように買っていたほどだ。
こうしてリスナーの絶大な信頼を集める中、さらにシーンを決定づけるアーティストがデビューする。

1月に赤ライドと呼ばれるシングル「ride ep」でデビューしたrideは、4月には黄ライドと呼ばれる2ndシングル「play ep」、9月にはアメリカのレーベルsireよりそれら2枚をカップリングした青ライドこと「smile ep」と立て続けにリリース。(イギリスでは92年にcreation recordsよりリリース。)その蒼々しいまでの焦燥感と切なくも感情的なメロディーライン、そして凶暴なまでに掻き鳴らされるギターサウンド、さらにはそのメンバーの端正なルックスから、イギリスはもとよりアメリカ、日本でも人気を博し、さらにペンギンライドこと「fall 」と怒濤のリリースラッシュを経て、10月に1stアルバム「nowhere」をリリース。これが後にシューゲイザーと呼ばれる流れの一つの象徴とも言える音となり、その後に多くのフォロワーを生む。

また、cocteau twinsなどをリリースしていた4AD Recordsからもpale saintslushといったシューゲイザーの源流ともいえるアーティストが誕生、the smithsをリリースしていたrough trade recordsからはthe boo radleysもデビューし、それらが徐々に1つのシーンを形成し始めようとしていた。

1991 <衝動>

この年になると、creation records4AD Recordsを中心にネオサイケ・ポストパンクのフォロワーともいえるアーティストがシーンを席巻。swervedriverslowdivechapterhouserevolvercurvemooseなど、シューゲイザーシーンの中核を成すアーティストが次々とデビュー。

この頃になると、日本でもwonder release recordsを中心にvenus petersecret goldfishなどマッドチェスターの影響を受けたアーティストや、新潟のマイブラと呼ばれたpaint in watercolourwhite come comeloco-holidaysといったシューゲイザーの影響を受けたバンドが続々と誕生。

そして11月、この先の音楽史上に計り知れない影響を与える事になる、あまりにも美しく破滅的な、未だかつて誰も聴いたことのない耽美的な世界が広がる1枚のアルバムがリリースされた。

my bloody valentine <昇華>

1988年にcreation recordsよりリリースした「you made me realise」と「feed me with your kiss」の2枚のシングルとアルバム「isn't anything」でポストパンクの急先鋒として一躍世界にその名を知らしめたmy bloody valentineであるが、シーンが活性化していくのとは裏腹に、その後2年間の沈黙を経て1990年4月にようやくシングル「glider」を、翌91年2月には「tremolo」をリリース。そしてこの年の11月、前作から3年の歳月をかけてようやく待望のアルバム「loveless」をリリース。

loveless

そう名付けられたこのアルバムは、イギリスの音楽シーンのみならず、世界中に衝撃と驚愕を与え、その何層にも複雑に重なりあう音の世界と計算し尽くされたリズムが生み出すグルーヴ感、そして儚くも美しく耽美的かつ破滅的な世界観で、圧倒的な存在感を示すこととなった。

この新作において彼らは、「isn't anything」までのようなバンドサウンドのレコーディングというスタイルから緻密なスタジオワークによる作業へと変化。1曲あたりのレコーディング作業には膨大な時間と労力が費やされるようになる。さらには先行シングルの「tremolo」のような、ミニマルなリズムトラックの繰り返しの上にギターが幾重にも重ねられたサイケデリックな世界を展開。この頃の彼らの音はバンドサウンドというよりも、1音1音を徹底的に突き詰めて作りこまれる打ち込み的なサウンドに近い。そのためにこれ以降、彼らはライブ演奏での曲の再現に非常に苦労することになるのだが。。。

このアルバムは、イギリスNMEの年間アルバムチャートで9位、同Melody Makerの年間アルバムチャートでは7位、アメリカのインディーロックチャートでも6位を記録。さらに同年日本でも初来日公演を川崎クラブチッタと大阪クラブクアトロで行う。

loveless」はその製作に費やされた金額が50万ドル(およそ6千万円)にものぼったとも言われ、さすがのcreation recordsもこの製作費のために会社の資金をほぼ使い切ってしまい、結局彼らとの契約を打ち切ってしまう。この後creation recordsは財政難からインディーズレーベルとしての影響力を弱めていき、1994年のoasisの大ヒットによってこの莫大な赤字を清算することができたものの、1999年には経営破綻して倒産してしまった。

1992 <頽廃>

昨年のシーンの勢いは海外にも飛び火し、アメリカからはmedicinelilysswirliesdrop nineteensなどイギリス的なサウンド指向のアーティストが登場。チェコからはthe ecstasy of saint theresa、日本においてもパルコのquattroレーベルよりコンピレーション・アルバム「brand new skip decoration」がリリース。下北沢ではclub zoo・shelter・club 251の3ケ所合同イベントも行われるなど、シーンは盛り上がりをみせていた。

イギリスにおいてもridepale saintsが新作をリリース、lushも初のオリジナルアルバム「spooky」をリリース。さらにadorableblind mr. jonescatherine wheelなどがデビューというように、新旧アーティストの作品が続々とリリースされ、いよいよシーンは大きな流れとなっていた。

この頃になると、イギリスのメディアもこぞって彼らを取り上げるようになる。マンチェスターという一大ムーブメントもすでに過去の物となりつつあり、メディアは次なるものを待ち望んでいたのである。そんな中あるメディアが、ひたすら演奏中に下を向いてギターをかき鳴らす彼らのパフォーマンスを見て、『シューゲイザー(shoe-gazer=靴を凝視する者)』と称したことから、一斉に各メディアにシューゲイザーの文字が溢れかえるようになる。

音楽業界はこぞってこの新たなムーブメントに飛びつき、次から次へと新しいアーティストが生まれた。そしてメディアによる過剰なまでの煽り。

リスナーというのは、時としてメディア主導の作られたムーブメントに強い拒否反応を示すことがある。日本においても90年代中頃にあったスウェディッシュブームなどが、まさにその典型的な例であろう。(漫画「デトロイト・メタル・シティ」ではそれをネタとして扱っている。)
シューゲイザーもまた、決して例外ではなかった。メディアが煽れば煽るほど、リスナーは急速にシューゲイザーから離れていった。さらには「靴を見つめる」などという、およそカッコいいとは思えないその形容も相まって、いつしかシューゲイザー=蔑称としての意味合いを強くしていくこととなる

そうした中アメリカでは、nirvanaが1991年にリリースしたアルバム「nevermind」で、michael jacksonのアルバム「dangerous」から全米トップの座を奪い取って音楽業界に大変革をもたらし、そのブレイクをきっかけに始まったグランジブームの波に押されてシューゲイザーはメインストリームから消えていくことになる。皮肉な事に、そのわずか数年後にはグランジブームもシューゲイザー同様の道を歩んでシーンから消えていくのだが。。。

1993 <終焉>

この年、シューゲイザーという括りに入れられてしまったアーティストにとってはまさに不遇の年となる。もはやシューゲイザーという単語そのものが人々にとっては軽蔑の対象でしかなく、シューゲイザー=時代遅れの代名詞とすらなってしまっていた。

そんな状況の中、creation recordsから1stアルバムをリリースしたadorableは、頑なにシューゲイザーを否定し続けたが、creation records=シューゲイザーというイメージが当時はまだ払拭されておらず、セールス的に苦戦を強いられる。またslowdivechapterhouserevolverといったシューゲイザーを代表するアーティストが新作をリリースするも、評価は散々たるものであった。特にchapterhouseの2ndアルバム「blood music」は、ダンスミュージックへと傾倒した路線が既存のリスナーからの反発を買い、シューゲイザーシーンの終焉を象徴するアルバムとなってしまう。

こうした状況がさらに追い討ちをかけ、この頃になるとちょっと陰鬱なメロディラインに轟音ギターを被せただけでも嘲笑をかい、ましてやシューゲイザーなどという言葉自体が恥ずかしい単語として誰も口にすらしない、そして誰からも相手にされることなくシューゲイザーという1つのシーンは消えていったのである。

いつの時代も人々は、音楽に刺激を求めつづけてきた。常に斬新な音を追い求めてきた。しかし斬新な物、刺激的な音というのは、それが普通になってしまえば、なんの魅力もなくなってしまう事がある。 ましてやメディアというものは、常に新しくなくてはならない。そして衝撃的に登場した音楽というものは、その衝撃的な部分のみが誇張され、論じられ、そしてその欠点を追求していく。そうする事によって音楽は進化しつづけてきた。 しかしその一方で、多くの音楽が過去の物として、忘れ去られていった。シューゲイザーとよばれた音楽もまた、そんな1つとして過去の時代に追いやられていった。

ある意味、まだ誰もがシューゲイザーという音楽の可能性と方向性を模索しているなかで、「loveless」の登場はやや早すぎたのかもしれない。多くの可能性を秘めたまま、結果的に「loveless」の登場がシューゲイザーの急激な衰退を招く1つの要因になってしまったからだ。とはいえ、これほどの完成度を持った作品があったからこそ、その後のシューゲイザー再評価に繋がったこともまた事実である。

re:union <再評価>

本国イギリスでは完全に消えてしまったシューゲイザーの系譜は、意外にもアメリカで静かに育まれていく。

これまでのバンドサウンドとはまったく正反対のエレクトロニクスを多用したり綿密なレコーディング作業によって新たな音の方向性を目指すポストロックやエレクトロニカといった新しいアプローチを試みるアーティストがアメリカのシカゴなどを中心に活発に活動を続け、新しいロックの流れとして注目されるようになると、2000年以降それらは大きな流れとして世界中で認知されていくようになる。彼らの多くがシューゲイザーからの多大な影響をうかがわせ、むしろシューゲイザーの発展系ともいえるサウンドを展開するアーティストが多く生まれた。そんな中、エレクトロニカ系レーベルの中心的存在であったドイツのmorr musicから2002年、slowdiveのトリビュートアルバム「blue skied an' clear」がリリースされる。múmulrich schnaussといったエレクトロニカシーンの主要アーティストが参加したこのアルバムは各国で高い評価を得て、それは同時にslowdiveというアーティストの再評価へと繋がっていく。

slowdiveは1995年に3枚目のアルバム「pygmalion」を発表後に解散してしまうのだが、このアルバムは当時のファンからは散々酷評され、すでに時代遅れとなったシューゲイザーのバンドという点からもまともな評価すらしてもらえなかった悲運の作品となっていたのだが、このアルバムはエレクトロニカシーンからは「loveless」以上の評価を得ることとなり、このトリビュート盤によってようやく日の目を見ることになった。

このトリビュート盤のヒットをきっかけにシューゲイザーシーンは再び注目を集めるようになる。
90年代初頭のメディア主導での盛り上がりと違い、シーンの中から必然の流れとして盛り上がってきたことが当時との大きな違いといえ、アメリカだけではなくイギリスからもamusement parks on fireのような新たなアーティストが登場。さらにはフランスのm83やエストニアのpia frausなどヨーロッパ各国からもシューゲイザーの流れを汲んだアーティストが続々と登場し、一度は消えたシューゲイザーシーンは見事に復活を遂げることとなった。

こうしたシーンの盛り上がりに合わせて、当時のシューゲイザー作品の多くがベスト盤や再発で再びリリースされるようになってくると、レコード屋の店頭からは10年以上消えていたシューゲイザーコーナーが復活するなど、もはや当時の蔑称としてのイメージは跡形もなく、こうした流れは今の若い世代のリスナーを生む結果ともなり、むしろ90年代のシューゲイザー暗黒時代を知らない世代へと世代交代までがおきているのが現状だ。

そして迎えた2008年のmy bloody valentineの活動再開は、これら一連のシューゲイザー再評価の流れなくしては成し得なかったことであり、一時は低迷を極めたシューゲイザーという音楽が、誕生から20年を経てようやく正当な評価を得るようになったというのは非常にドラマチックでもある。このように一度は完全にシーンから消え去り忘れ去られてしまった音楽が再び脚光を浴びることができたのは、my bloody valentineslowdiveといった時代に関係なく評価され続けたアーティストの存在が大きいだろう。

2000年、このサイトを立ち上げた当時はまさにシューゲイザーは死語として誰からも相手にされず、よく笑われたものである。
あれから10年。

今後は、過去のアーティストを越える次の世代の誕生に期待しつつ、1991年の「loveless」を最後にリリースの途絶えてしまった彼ら - my bloody valentine - の新作を死ぬまでに聴くことができれば、もう思い残すことは何もないだろう。

Sep.22, 2000/Jun.16, 2003/Apr.22, 2009
text by masaki kiuchi a.k.a. die-O

▲ top